Subject: 詩篇108篇 109篇と110篇との関係(ケイヤ) |
From: "keiya@kanno.com" <keiya@kanno.com> |
Date: 2005/11/17 11:13 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
こんにちは、+KeiyaKannoです。 第5巻全体の構造を考えると、108篇から110篇はひとつのまとまりのように見え る。それで109篇と110篇との関係を考えました。 全体的に見るとこれらの3つの詩篇は主イエス・キリストの人生と共通している ように見える。108篇は誕生と、この世での働き、109篇は十字架と復活、110篇 は昇天と着座 ■109篇 この詩篇は愛の言葉を語っているのに攻撃してくる敵に対してさばきをなしてく ださいという祈りから始まる。さらにその敵が完全に滅ぼされ、子孫がいなくな るようにとも願う。この願いは悪者の貧しい者に対する攻撃のためである。主は その祈りを聞いてくださり、悪者が恥を見るようにしてくださる。 主イエス・キリストはこの世で、愛の言葉、福音を伝えたが、それに対して攻撃 をしてくる。敵は言葉の攻撃だけでなく、体に対する攻撃もしてきた。十字架に おいて敵は、木に掛けるという契約ののろいを与えようとした。その時に多くの 者は主イエス・キリストをそしった。しかし、十字架に架けたことによって勝利 したと思っていたサタンは復活によって恥を見るのである。それは主が死刑を宣 告する者から守ってくださったということである。 ■110篇 主はダビデの主に右の座に着くように命じ、王としての権威を与える。またメル キゼデクと同じように、同時に祭司でもある。 主イエス・キリストご自身が福音書で引用し、言われているように、ここで言わ れている「私の主」は主イエス・キリストである。主イエス・キリストは復活 し、昇天したあと御父の右の座に着き、全世界を支配し、ご自分の民と一緒に国 々の間をさばかれる。また王であると同時に祭司としても右の座に着いておられ るのである。それで民は主イエス・キリストを礼拝するのである。-- +KeiyaKanno mailto:keiya@kanno.com May God bless you!