Subject:
詩篇109篇 22
From:
"Miwaza J. Kanno" <miwaza@miwaza.com>
Date:
2005/11/22 12:09
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

みーちゃんです。

詩篇109篇と詩篇22篇を対比しました。

■詩人の苦しみの理由:

この二つの詩篇に出てくる詩人の苦しみとは、敵からのさげすみやあざけり、そ
して、偽りや欺きなど、口の攻撃であることが、読むとわかります。詩篇109
篇にはありませんが、詩篇22篇では、実際に敵がどのような偽りを言ったか、
ということが書かれています。それは、8節で、ここで敵は「主に身を任せよ。
彼が助け出しいたらよい。彼に救い出させよ。お気に入りなのだから。」と詩人
を口で攻撃しています。この攻撃の言葉から思い出すのは、キリストが十字架に
かけられた時に、敵たちがいった言葉です。また、実際に詩篇22篇の1節は、
キリストが十字架の上で、神様に訴えたことば「我が神。我が神。どうして、私
をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いにならないのですか。私の
うめきの言葉にも。」です。

■神様と詩人の関係:

この二つの詩篇の中で表されている、詩人と神様の関係とは、詩人は苦しみの中
から神様を呼び、神様はその呼ぶ声を聞いてくださり、助けてくださるというも
のです。しかし、両方の詩篇を見てみると、詩人の苦しみの理由の一つは、神様
に対して呼んでいるのに、答えてくれないように見えているということがわかり
ます。しかし、詩篇22篇では答えの望みが全くないというわけでなく、信頼し
て、助け出されることを信じています。

■違うところ:

詩篇109篇と詩篇22篇の違いは、”呪い”です。詩篇22篇では、詩人は神様
に敵の攻撃を訴えていますが、特に、敵への裁きを求めるということはしていま
せん。しかし、詩篇109篇では、詩人は激しく敵への呪いを求めています。

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 Miwaza J. Kanno
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 God be with you :)
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