Subject:
詩篇109篇 22篇との比較(ケイヤ)
From:
"keiya@kanno.com" <keiya@kanno.com>
Date:
2005/11/22 14:01
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

こんにちは、+KeiyaKannoです。

この詩篇は同じように十字架についての預言が書かれている22篇と似ているの
で、比較をしながら、構造を考えました。

■概略

22篇は「わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか」という主
イエス・キリストが十字架上で叫ばれた言い方から始まる (マタイの福音書27:
46, マルコの福音書15:34)。詩人は神からの答えを受けられなくても、敵にあざ
けられ、敵に囲まれても主に信頼する。それで主が答えてくださった時に主を大
会衆の中で賛美し、礼拝するのである。

■似ている部分

両方の詩篇は主に救いを求めるという点において共通している。また神はその祈
りにすぐに答えてはくださっていない、黙っているようだが、詩人は黙らずに主
を賛美し、主を呼び求めている。

敵は攻撃してくる時に、中心的な攻撃となっているのは言葉によるのろい、あざ
けりである。敵のあざけりによって詩人は弱り、舌は賛美できないほどになって
しまったのである。

詩人は救いを主の集会の中心で賛美している。それは全世界、国々で主が賛美さ
れるためであるということが22篇にある。しかし、悪者の子孫はさばかれ、滅び
ることが109篇で何度も賛美されているテーマである。

■似ていない部分

まず主に信頼すると救われたというテーマが22篇にでてくるが、そのテーマは
109篇ではあまりはっきりしていない。

109篇の最初には悪者に対するのろいの言葉が書かれているが、22篇にはない。
しかし、22篇にはそののろいが自分にあるかのようであるということで似ている。

22篇には主が王であること、主の義を告白があり、それが結論になっているが、
109篇にはそのテーマははっきりとはなく、110篇ではっきりとする。

まだ途中です。

-- +KeiyaKanno mailto:keiya@kanno.com May God bless you!