+みくにです。
祝福をのろいに、善に変えて悪を報いるなどの箇所を探しました。
・第二サムエル記16:12 ダビデはシムイに呪われたが、アビシャイに向かってこういった。彼は私を呪ったが、主が私に幸せを報いて下さるだろう。のろいに変えて幸せ(幸い)である。これは109篇のクロスリファレンスに書かれていた箇所である。
・申命記23:5 主はバラムの事件で、イスラエルのために呪いを祝福に変えられたといっている。それは、主が彼らを愛されたからである。ここに、祝福とのろい、そして愛の関係がでてくる。
・民数記24:10 バラクはバラムに敵を呪うために招いたのに、かえって彼らを三度も祝福したと言った。バラムは三回もイスラエルを祝福した。
・ヨシュア記24:9~10 ヨシュアは全イスラエルを呼び寄せて、彼らに言った。そして、エジプトから連れ出されたことなど、主のみわざを語った。その中で、バラムが呪いを祝福に変えたということが出てくる。
・民数記23:11 バラクはバラムに敵を呪うために連れてきたのに、祝福したと言っている。
・ネヘミヤ記13:2 神さまはバラムとバラクの事件で呪いを祝福に変えられた。だから、アモン人とモアブ人が主の集会に加わってはいけない。
・創世記27:12 ヤコブは父から祝福を受けようとしていた。母のリベカは彼を手伝ったが、もしヤコブが自分のなめらかな肌で父の所に行くなら、かえって呪いを身に招くと言っている。