+ちゃんくんです。
ヘブル人への手紙5章から8章の分析。
王だけではなく、大祭司も右の座についている。(ヘブル人への手紙8章1節)
詩篇2篇の7節を引用したあとで、別の箇所でと言って、詩篇110篇の4節を引用する。
(ヘブル人への手紙5章5-6節)
エレミヤ書31章がヘブル人への手紙8章8節からで引用されている。
新しい大祭司がいることによって古い契約はいらなくなる。
だから、大祭司だけが至聖所にはいれるというようなことはない。
私たちだって、はいれる。またキリストが御自身をおささげになったので、毎日いけにえをささげる必要もない。
110篇の戦いは聖戦であって、王様の行いようには見えるが、祭司のやることである。
神様はキリストを大祭司とするということを誓われた。
メルキゼデクには系図がなく、お父さんもお母さんもいない。
だから、アロンの位とは言わず、メルキゼデクの位にひとしい祭司となると言われる。
(ヘブル人への手紙7章3節、11節)
アロンの場合は死ぬということがあるので、祭司にいつまでもとどまることはできない。
しかし、メルキゼデクや、キリストにはいのちの終わりがないので、いつまでもその役目にとどまることができる。
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+審也@カンノファミリー
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