+ちゃんくんです。
構造を考えるときのそれぞれの段落のつながりを見ました。
□詩篇111篇
1節(A)
2-4節(B)
5-9節(C)
10節(D)
□詩篇112篇
1-3節(E)
4節(F)
5-9節(G)
10節(H)
■D-E
主の誉れは永遠に堅く立つという言い方と彼の義は永遠に堅く立つという言い方でこの段落が終わっている。
どちらの段落も主を恐れるということばで始まっている。
112篇では主を恐れるものは幸であると言われている。
111篇では主を恐れることは知恵であると言われている。主を恐れることは知恵であるという言い方は箴言1章7節にある。
どちらの段落にも何とかの人はという言い方がある。
■B-C
3節は神様のみわざは尊厳と威光。7節は神様の御手のわざは真実と公正。
■F-G
4節は神様は情け深く、あわれみ深い。
しかし、5節と9節は直人は情け深く、あわれみ深い。
■B-F
どちらとも主は情け深く、あわれみ深いという言い方がはいっている。
111篇では奇しいみわざを記念とするということが言われている。
112篇では直ぐな人たちのために光を輝かすと言っている。
■C-G
111篇では神様は契約をとこしえに覚えてくださると言っているが、
112篇では正しい者をとこしえに覚えてくださると言っている。111篇には契約を覚えるという言い方は二回もある。
神様の戒めは代々限りなく保たれる。正しい者は主に信頼しているのでゆるがない。
9節の主の御名について出エジプト記34章6節を見ればわかる。
「神様は情け深く、あわれみ深い、怒るのにおそく、恵み豊である。」
5-9節に出てくる直人は情け深くて人に貸している。
■B-G
2-4節の場合は彼の義は永遠に堅く立つという言い方が一番最初にきている。
しかし、5-9節のところでは彼の義は永遠に堅くたつというテーマが最後にきている。
神様は情け深く、あわれみ深いという言い方で2-4節は終わっている。
しかし、5-9節のところは反対でそのテーマではじまる。
■C-F
5-9節にも4節にも神様は正しくあられるということが言われている。
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+審也@カンノファミリー
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