Subject:
詩篇111篇、112篇「木曜日の聖書研究」
From:
"+ShinyaKanno" <shinya@kanno.com>
Date:
2005/12/08 10:34
To:
"saiwainet" <saiwainet@yahoogroups.jp>

+ちゃんくんです。

主は情け深く、あわれみ深いということは主の御名についてだから、9節の御名と並行していると見てしまう。
しかし、それは出エジプト記34章6節を知っているから言えることである。
111篇の中から主は情け深く、あわれみ深いとはどのようなことかを見なければならない。

111篇の6節で民に地を与えたのは、ご自分の力をあらわすためだったということを言っている。
111篇の5-9節も112篇の5-9節も並行しているように見えるので、まずそれぞれの中を分析しなければならない。

112篇の5-9節の中は5-6節と7節、8節、9節にわかれるのではないか。
ここで言われている人に貸すということは義人であるということを説明している。

人を恐れるのか、神様を恐れるのかはすごく大切なことである。
病気になったときに医者を求めるのは、人を恐れているからである。
いいわけするのも人を恐れているからである。アダムだってその罪を犯した。

人を恐れることはみんなすぐにしてしまう罪である。だれかを特定して言えることではない。
光、栄光は112篇の中で神様をほめたたえるということばと関係している。

主を恐れる者はほめたたえられると箴言31章の中で言われている。
神様の偉大なみわざは正しい者たちが力あるものとなるということによってあらわされる。
111篇の中ではあわれむ神であるということが神様の偉大なみわざである。

わざわざ私たちにくれるために、創造してくださった。
アダムは罪を犯したときに、恐れて神様から隠れてしまった。

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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