Subject:
113篇「火曜日の聖書研究」
From:
"+ShinyaKanno" <shinya@kanno.com>
Date:
2005/12/13 10:30
To:
"saiwainet" <saiwainet@yahoogroups.jp>

+ちゃんくんです。

1節のほめたたえるということばはハレルヤということばと同じである。
しかし、2節と3節のほめたたえるは違うことばで、祝福ということばになっている。

2節と3節は新改訳ではABABだが、ヘブル語ではABBAになっている。
2節は時間の話をしていて、3節は場所の話をしている。
1-6節と7-9節にわけて、その中を1-3節と4-6節、7-8節と9節に分ける。

この構造は4-6節と7-8節が並行していると考えて、1-3節と9節はむりやりにつながっていると考えた。
となると三つにわけているのとかわらない。1-3節と4-6節、7-9節。
しかし、構造は四つにわけるといっているので、むりやりに9節を別にした。

今回の詩篇にはもう一つ別の考え方がある。(1-2節、3節、4-6節、7-9節)
この二つの考え方はどちらとも1-3節でわけているが、1-4節でわけるという考え方もある。

1-4節でわけると、1-3節、4節、5-6節、7-9節になる。
1-3節の主のしもべたちは4節にある天の栄光を賛美している。

1-3節、4節、5-6節、7-9節に分けるときに、民、神、神、民の並行になっている。
神様は民のことを捨てて、ただ自分の栄光を求めているお方ではない。
反対に、ご自分のことをお捨てになって、民の栄光を求めてくださった。

神様は全世界をつくって、それを私たちが支配するようにしてくださった。
神様は恐れおおくてさわれないというわけではない。
心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、主を愛し、同じように兄弟を愛する。

8節と9節はどちらとも座らせるということばで始まっている。

しかし、1-3節と4節ではないだろう。なぜなら、1節と4節は並行しているからである。
ヘブル語では7節の順番が反対になっている。ちりから起こすではなく、起こすちりからということになっている。
7節は起こす、ちりから、弱い者、あくたから引き上げる、貧しい人ということになる。

8節に出てくる君主は貧しい人の反対で、高ぶっているという意味ではない。
君主を高いところから引き下ろすということを言っているわけではない。

貧しい者が御民の君主とともに王座につくということを言っている。
このことをまとめて言うと、ルカ福音書2章14節である。

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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