Subject:
詩篇113篇 だれが我らの神主のようであろうか
From:
"Mikuni Kanno" <mikuniML@kanno.com>
Date:
2005/12/14 11:18
To:
<saiwainet@yahoogroups.jp>

+みくにです。

「だれが~」という箇所を詩篇の中から探しました。

・詩篇15:1 だれが主の聖なる山に住むことが出来るのかといっている。これは、詩篇15篇のテーマであって、この詩篇全体でこの質問に答えている。

・詩篇18:31 主の他には誰が神であるか。神の他には誰が岩であるのかと言っている。

・詩篇24:3 ここは15:1とほとんど同じ言い方である。誰が主の山に登ることが出来るのかといっている。その答えは、4-6節にある。

・詩篇60:9、詩篇108:10 だれが私を防備の町まで連れて行くのかと言っている。詩篇108の言い方もこれと同じである。

・詩篇71:19 主のように大いなる事をなさるかたは他にはいないと言っている。また、だれが主と比べられるのか?と言っている。答えはもちろん「いいえ」である。

・詩篇89:6、8 だれが主と並ぶことが出来るのか。だれが主のように力があるのかといっている。

・詩篇90:11 だれが主の御怒りの力を知っているのか。

・詩篇130:3 もし、主が不義に目を留められる恐ろしい方だったら、だれも御前に立つことが出来ない。しかし、主があわれんでくださる神だからこそ、人に恐れられる。

■まとめ:

だいたい、だれがと言っているときには、並行方で書かれているので、最初に何を言っているのか分からなくても、次の行で理解することが出来る。