Subject:
詩篇114篇「木曜日の聖書研究」
From:
"+ShinyaKanno" <shinya@kanno.com>
Date:
2005/12/22 11:08
To:
"saiwainet" <saiwainet@yahoogroups.jp>

+ちゃんくんです。

114篇はこの訳ではハレルヤがないが、113篇の最後のハレルヤは114篇の頭についている。
114篇はエジプトのハレルといわれる一連の詩篇の一つである。

ヨルダン川がさかさに流れることと、海が逃げることはストーリーとして知っている。
山々、丘がはねることは何を連想すればよいのかはあまりよくわからない。
ダビデが契約の箱がはいってきたときに、踊ったということばとはねるということばは同じである。

もしかしたら、山々、丘が踊っているということをあらわしているのか。
ヨルダン川は下るという名前の意味なのに、ここでは上っている。

山々、川、海、丘はもうしかしたら、東西南北のことをあらわしているのか。
114篇に出てくる順番がもしかしたら、歴史の順番になっているのかもしれない。
詩篇114篇の構造はいつもどおり四つにわかれる。1-2節、3ー4節、5-6節、7-8節。

8節の岩から水が出るというストーリーは直接は二回しか聖書に記されていない。

しかし、二回だけでは、四十年間生きていけないので、何回もあったのだろう。
神様はご自分が聖であるということを目的として、岩から水を出した。
今週の水曜日の通読の箇所の前のところであった78篇は114篇に似ている。

78篇もエジプトのハレルといわれる一連の詩篇の一つである。
105篇、106篇、107篇もエジプトのハレルについて書かれている。

114篇で堅い石というときに、ゆるがないということが一番大切なポイントではない。
岩ということばはメリバでの神様のみわざの箇所で一番最初につかわれる。
78篇のクロスリファレンスを見るときに第一コリント人への手紙10章が出てくる。

ここで、キリストは岩であるということがいわれている。
第一ペテロ2章9節では岩がキリストを信じないものたちにとって、つまづきとなった。
114篇には太主がないというところも特徴的である。

ハレルヤということばがなければ、114篇には直接は賛美することばは出てこない。
メリバの水のときに、モーセはそこで、神様に信頼しなかったので、約束の地に入ることはできなくなった。
牧者の仕事は、飲み物、食べ物をあげることと敵から守ることである。

異なることばの民のうちからという言い方が114篇の1節にある。

このことは黙示録5章を見て考えることができる。
出エジプト記19章にも黙示録5章でいわれているようなことが言われている。

出エジプト記19章は神様から十戒が与えられる前の話である。

ハレルヤということばに対して、私たちはアーメンと言って答える。

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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