Subject:
詩篇115篇「135篇とのつながり」
From:
megumi@kanno.com
Date:
2005/12/27 11:53
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

+ちゃんくんです。

詩篇135篇と詩篇115篇のつながりを見ました。

主は私たちの望むところをことごとく行われるということも言われている。
また、イスラエルの家よ。主をほめたたえよという言い方もある。
また、金や、銀で造った偶像はこのようなものであるということについても書かれて
いる。

115編の場合は4-8節の全体としては最初のほうである。
しかし、135篇では15-18節の全体としては最後のほうにある。

また、イスラエルの家よ。主をほめたたえよという言い方も、135篇ではあとのほ
うである。

135篇ではイスラエルよ。主をほめたたえよという言い方になっているが、
115篇ではイスラエルよ。主に信頼せよということになっている。

135篇の場合はエジプトのストーリーと荒野のストーリーがある。

115篇では一番最後にある主の御名をとこしえまでもほめたたえよという言い方は
、135篇では13節にある。

135篇のほうが、主を賛美することについて多く書かれている。
また、イスラエルを選んで、ご自分の宝とされたということについても書かれている
。

ご自分の宝とするという言い方を聞くときに、出エジプト記19章を思い出す。
19章は十戒が与えられる前の箇所である。
この箇所は114篇を研究しているときにも見た箇所である。

115篇には神様は小さな者も、大いなるものも主を恐れるものを祝福されるという
ことがある。
135篇では神様は国々の神にまさって、大いなる方であると言われている。

135篇には主は天と地を造った方という言い方や、死人は主をほめたたえることは
ないという言い方はない。
また、イスラエルの家よ。主をほめたたえよということはあるが、
主がイスラエルの家を祝福してくださるということはない。

あと2節の国々は言うということについても言われていない。

115篇では私たちの望むところとは12-16節のことだったが、
135篇では私たちの望むところとはどこになるのか。
115篇みたいには望むところについてははっきりしていない。

135篇の10-12節までは136篇の17-21節で言われている。

115篇では偶像は手、鼻、足、のどについて書かれている。
しかし、135篇にはこのことについては言われていない。

-------------------------------------
+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
-------------------------------------