+みくにです。
詩篇115篇の1節の主に栄光を帰すると言う箇所を探しました。
・イザヤ書48:11 主はご自分のためにこれを行われる。主の御名は汚されても良いのだろうか。わたしは私の栄光を与えない。
・エゼキエル20:9,14,22,44 主はご自分の御名を汚そうとはなさらなかった。
・エゼキエル36:22,32 主が事を行われるのは、ご自分の聖なる名のためである。イスラエルの家のためではない。また、この箇所には有名な「新しい霊」ついての箇所が出てくる。
・イザヤ書48:9 主はご自分の名のために、怒りを遅らせられた。
■まとめ:
主に栄光を帰するという1節のクロスリファレンスをみると、色々な箇所が出てくる。その中でも、この4カ所はとっても大切な箇所であった。神さまが事をなされるのは、イスラエルのためではなくて、主の御名のためである。
反対に思い出すのは、第二サムエル記7章である。そこで、主の名のための家について話している。ダビデが神殿を建てようとしていたのは、主の御名のためである。その神殿には、栄光が満ちあふれている(第二歴代誌7章)。
詩篇115:1と18は並行している。これは、ウエストミンスター小教理問答の第一問の答えである。まず、1節は、神の栄光を現すこと。18節は神を賛美し、よろこぶことである。