Subject:
詩篇115篇 私たちにではなく、神に栄光あれ(ケイヤ)
From:
"keiya@kanno.com" <keiya@kanno.com>
Date:
2005/12/27 15:11
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

こんにちは、+KeiyaKannoです。

私たちにではなく、主よ、私たちにではなく、あなたの恵みとまことのゆえに、
栄光を、ただあなたの御名にのみ帰してください (詩篇115:1)。

この詩篇の中でも有名な箇所はこの1節である。しかし、2節以降の内容とは関係
がないようにも見えてしまう。そのひとつの問題は翻訳である。この翻訳では、
神の一方的な救いのみを強調しているように見える。神が私たちを一方的に義と
認め、救ってくださったことは大切なことであるが、115篇ではそのような意味
のみで使ってはいないと考えられる。

詩人は「私たちにではなく」と願っているが、それは罪を犯した私たちに目を留
めず、栄光は神のみにあるようにということである。私たちが犯した罪は2節か
ら8節にある。この箇所を悪者をばかにしている言葉として読むことはできる
が、私たちの罪として読むほうが適切であろう。私たちは、自分たちの神が天に
おられるということを言っていたが、それは偽りであり、金や銀でできていた偶
像に従っていたのである。そのために私たちを想像し、祝福してくださる方に信
頼し、祝福しなければならないのである。「私たちにではない」ということが中
心なのではなく、「神のみに」ということが中心である。

「神にのみ」が中心であると言うことができるのは、イザヤ書48章、エゼキエル
書20章と36章からである。イザヤ書では、救いが行われるのは自分の栄光を表す
ためであると言われている。私たちに救いが与えられているのは神のためである
ので、神のみに栄光があるようにと願っているのである。エゼキエル書20章と36
章でも同じように救いによってご自分が聖であることを表すと言われている。こ
のことを短く言うなら「主であることを知らせる」ということになる。私たちは
主であることを知っているので、主を祝福しなければならない。

-- +KeiyaKanno mailto:keiya@kanno.com May God bless you!