Subject:
詩篇115篇 ヒゼキヤの話と似ている所
From:
"Mikuni Kanno" <mikuniML@kanno.com>
Date:
2005/12/28 12:39
To:
<saiwainet@yahoogroups.jp>

+みくにです。

詩篇115篇とヒゼキヤの話で似ている所を書き出しました。

・イザヤ書38:10-11,18 よみは主をほめたたえず、死も主を賛美しないと言っている。

・イザヤ書37:16 主だけが天と地を造られた方である。主はただひとりの創造主である。

・イザヤ書37:19 神々は、人のつくった者であって、木や石に過ぎなかった。アッシリヤの王たちはすべての国々の神々を日に投げ入れた。しかし、主は私たちを救ってくださる方である。

・第二列王記18:22 ラブ・シャケはイスラエルにおまえたちは、主に拠り頼むと言っていると言う。しかし、その拠り頼んでいるものはむなしいとばかにしている。

・第二列王記18:34 神々はどこにいるのか。主はエルサレムをアッシリヤの手から救い出せるのか?と言っている。

■まとめ:

アッシリヤの王から遣わされたラブ・シャケは、イスラエルの拠り頼んでいるものを攻撃している。しかし、ヒゼキヤは主に祈り、主のみが天地を造られた本物の神さまであることを告白している。

ヒゼキヤが主の恵みを見て、へりくだったので、主は彼らのことをあわれんで救ってくださった。これも、ご自分の御名のためである(エゼキエル36:22,32)。