Subject:
詩篇116篇「水曜日の聖書研究」
From:
"+ShinyaKanno" <shinya@kanno.com>
Date:
2006/01/04 11:27
To:
"saiwainet" <saiwainet@yahoogroups.jp>

+ちゃんくんです。

前回116篇を学んだときは黙示録、ダニエル書とのつながりを見ていた。
116篇のクロスリファレンスにヒゼキヤの箇所がある。

そのヒゼキヤの箇所ではあなたの名のために私たちを救ってくださいと言っている。
ダニエルの三人の友達は死を選ぶまでもして、誓いを果たした。
また、115篇と116篇とのつながりも見ていた。

115篇と116篇とのつながりを見たうえで、創世記1章とのつながりも見ていた。
前回は聖徒たちの死は主の目に尊いというところも見ていた。
黙示録とのつながりの中でも、とくに2章のスミルナへの手紙を見ていた。

しかし、黙示録全体が主の聖徒たちの死は主の目に尊いということについて話している。

前回ダニエル書を見たのは通読でちょうどその箇所を読んだからである。
しかし、今回見ようとしているのはダニエル書9章である。

ダニエル書9章はダニエルの祈りで、5節のクロスリファレンスにある。
今週見なければならない箇所は第二コリント4章13節である。

116篇の10節は第二コリント4章13節に直接引用されている。
七十人訳の人たちは116篇は1-9節と10-19節の二つにわかれると考えている。
パウロは七十人訳の方の10節を引用している。

10節と11節には何を言っているのかについては言われていない。
しかし、ヘブル語の書き方をみていったりすると、12節がその内容であることがわかる。
第二コリント4章は私はどんなに苦しいときにも勇気を失いませんというところから始まる。

マケドニヤの教会は苦しみの中にあっても、献金することを願った。
普通は病気になって、その病気がいやされたときに、何をお返ししようかと考える。

しかし、マケドニヤの教会の人々は苦しみの中にあるときに何をお返ししようかと考えている。
神様は私たちに誓ったことを果たして下さるということを知っているので、私たちは信じることができる。
ダニエルの三人の友達は復活すること、神様は救ってくださることを信じていた。

この世での働きと、昇天してからのやることはいっしょである。
キリストは富んでおられたのに、私たちのために貧しいものとなられた。

それは貧しさによって私たちが富むためであった。
七十人訳の人たちは116篇を二つにわけるが、一つは主を愛するから始まって、二つ目は主を信じるから始まる。
それで、どちらにもかってにハレルヤということばをつけてしまう。


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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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