Subject:
詩篇116篇「金曜日の聖書研究」
From:
"+ShinyaKanno" <shinya@kanno.com>
Date:
2006/01/06 10:06
To:
"saiwainet" <saiwainet@yahoogroups.jp>

+ちゃんくんです。

116篇を読んだときに、目立つのは10節と11節である。
前回も10節と11節の訳がどうなっているのかを見た。

日本語の聖書にはかぎかっこがあるが、それはただの解釈であって、ヘブル語の聖書にはかぎかっこはない。
10節は第二コリント4章13節に引用されている。

パウロは七十人訳の訳の詩篇116篇の10節を引用している。
七十人訳の人たちは116篇は1-9節と10-19節の二つにわかれていると言う。

第二コリント4章でパウロは私は苦しみの中にあっても勇気を失いませんという。
そのようなことのなかで、116篇の10節が引用される。

マケドニヤの教会は苦しみの中にあっても、喜んで献金をしたということをパウロは言っている。
今日の通読のルカによる福音書21-22章の中でも、やもめが喜んで献金をすることについて言われていた。
死に従うまでも主に誓ったことを果たすということをマケドニヤの教会の人たちはやった。

今回考えた構造は1-9節と10-19節の前半、後半にわけた。
1-9節の中も10-19節の中も四つにわかれている。
詩篇116篇の1節を読むときにまず申命記6章4節と5節を思い出さなければならない。

前回は通読の箇所であったダニエル書といっしょに見ていた。
主の聖徒たちの死は主の目に尊いということで黙示録も見ていた。

今回はダニエル書9章と第二コリント4章13節、イザヤ書37章を見た。

前回は第二コリント4章13節に引用されているということを完全に忘れていた。
今週は創世記4章も見た。ここは前回116篇を学んだ時にも見た箇所である。

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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