Subject:
詩篇117篇「金曜日の聖書研究」
From:
"+ShinyaKanno" <shinya@kanno.com>
Date:
2006/01/13 10:42
To:
"saiwainet" <saiwainet@yahoogroups.jp>

+ちゃんくんです。

詩篇117篇は短い詩篇としてみんなによく覚えられている。
しかし、今週も一週間ずっと117篇を学んだ。
また、いつもどおり、色をぬって、構造も考えた。

今週は普通よりかは短いので、ヘブル語がいつもよりもちゃんと見えた。
詩篇117篇を学ぶときに目立つのはローマ人への手紙15章11節に引用されていることである。
この詩篇はユダヤ人にあてに書かれた手紙ではない。

もともとはローマの教会の中で、兄弟げんかがあった。
パウロは兄弟げんかをやめなさいということを教えるときに、117篇の1節を引用する。

詩篇117篇の構造を考えるときに、この詩篇をもっと短くすることができる。
前半はハレルヤで、後半はアーメンである。

ヘブル語を見ればわかるように、2節の頭にはキーがある。
神様を信じない国々は、神様のさばきによって主を知るようにされてしまう。

このことについてはエゼキエル書にたくさん書かれている。

私が主であることを知ろうという言い方は出エジプト記7章が一番最初である。
ご自分の民を絶対に守って下さるということを見るときに、国々は主をほめたたえる。

ローマ人への手紙15章9節でパウロは異邦人は神様のあわれみによって、主をほめたたえるようになるということを言っている。
117篇の2節(後半)については詩篇89篇で詳しく言われている。

117篇の1節(前半)については詩篇18篇(第二サムエル記22章)で言われている。
イスラエルの王様はどっかからくる王様ではなく、王の王である。
王の王はイスラエルだけではなく、全世界を支配している。

117篇の次の118篇は117篇で言われていたことを受けて、歌っている。
117篇のような状態でなければ、本物の救いはまだ来ていない。

ソロモンの時代にはソロモンが王の王であった。
すべての国々の民はソロモンのところに知恵を聞きにきた。

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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