Subject:
詩篇118篇「火曜日の聖書研究」
From:
"+ShinyaKanno" <shinya@kanno.com>
Date:
2006/01/17 11:29
To:
"saiwainet" <saiwainet@yahoogroups.jp>

+ちゃんくんです。

普通は詩篇118篇を大きく二つにわけるのなら、1-18節と19-29節になる。
118篇の6節はヘブル人への手紙13章6節に引用されている。

また、ここを読むときにローマ人への手紙8章も連想する。
みんなも知っているように22節はいろいろな箇所で引用されている。

福音書に三回、使徒行伝に一回、手紙に二回。
みんなは24節のこの日とはいつのことですかということを質問する。
24節のこの日は復活のときのことだということを言う人が多い。

三回同じことがくり返されているところは2-4節、10-12節、15-16節だけである。

前半にしか三回の繰り返しはない。後半には三回の繰り返しはない。
苦しみについての話は5節と13節と18節と22節である。

今のところはカンノパパの構造は大きく二つにわけると1-16節と17-29節になる。
三回の繰り返しを大切にして見たので、1-16節までわけることになった。
1-18節の中は1-4節と5-12節にわかれて、17-29節の中は17-21節と22-28節にわかれる。

5-12節と22-28節の中は三つにわかれて、13-16節と17-21節の中は二つに分かれる。
1-4節と29節は「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで」ということで並行している。

28-29節にしなかった理由は、28節は21節と並行しているからである。
前半では主の御名ということが強調されている。
しかし、後半では主に感謝するということが強調されている。

主の御名によって来る人とはメサイアのことである。
後半では神様に感謝することはどのようにあらわされているのか、メサイアの復活による。

前半には敵がいて、後半は苦しみの中の苦しみである死に対する勝利について言っている。
8-9節と25節をあわせると、私たちを救って下さい。私たちはあなたに信頼していますからということになる。
これは主に感謝せよ。その恵みはとこしえまでだからの反対である。

118篇を学ぶときにまずメサイアに行ってしまったらそれは片手落ちである。
出エジプトのハレルといっしょに見なければならない。
それは113-117篇まではエジプトのハレルの一連の詩篇であったからである。

主の御名によって来る人という言い方を聞くときに、ホサナのキリストのエルサレム入場の箇所を見なければならない。
この箇所を見るときに、主の御名によってくる人がメサイアであることがよくわかる。
イザヤ書12章は118篇の14節からのところに似ているので、そこともいっしょに見なければならない。

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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