Subject: 詩篇118篇 出エジプト記 |
From: "Miwaza J. Kanno" <miwaza@miwaza.com> |
Date: 2006/01/17 12:35 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
みーちゃんです。 詩篇118篇と出エジプト記15章の比較をしてみました。 ■なぜ出エジプト記15章なのか?: なぜなら、詩篇118篇を研究するときに、まず、メサイアの話と一緒に見るの ではなく、まず、その前に出エジプト記と一緒に研究しなければいいけないから です。なぜ、出エジプト記に行くかというと、詩篇113-117篇までは、出 エジプトのハレルと言われている詩篇だからです。 ■出エジプト記15章: 出エジプト記15章は神様がエジプトに対して行われたみわざについて、モーセ とイスラエル人が賛美した歌です。この歌は、「主の恵み」について歌っている もので、その恵みとは、主が民に勝利を与えてくださったと言うこと、主は右の 手によって敵を打ち砕いてくださったということです。そして、主は敵を打ち砕 いただけでなく、民を導いて、聖所においてくださる、というところが大切なポ イントで、詩篇118篇とつながっているところです。 ■主の右の手による救い: 出エジプト記15章6、12節=主の右の手は敵を打ち砕く 詩篇118篇15,16節=主の右の手の力ある働き(みわざ) 詩篇118篇と出エジプト記15章には、主の右の手の話がでてきます。そし て、出エジプト記15章では神様の右の手が敵を滅ぼす、という話において書か れています。詩篇118篇には直接書かれてはいませんが、10-12節などを 見ると、主の右の手の力ある働きとは、敵から救ってくださるということだと分 かります。この、右の手による救い、というのは、詩篇118篇を見ると、主の 御名による救いでもある、ということが分かります。出エジプト記の場合は、そ の右の手というのは、敵を滅ぼすためだけでなく、ご自分の民を導くものでもあ る、ということがわかります。ここで、神様は民をどこに導いてくださるのか、 それは、主の家、聖所、御住まいで、これは、詩篇118篇に出てくる、正しい 門とつながっていと思われます。 ■賛美の言葉: 出エジプト記15章の賛美は、主は民の力であり、民の救いとなってくださった と言うこと、そして、この方を民はあがめる、というところから始まっていま す。この、主をあがめるということは、詩篇118篇の28節にでてくることで す。賛美の言葉において、詩篇118篇で強調されていて、出エジプト記15章 にでてこないのは”感謝”という言い方で、詩篇118篇では何度か繰り返されて いる言い方ですが、出エジプト記15章にはまったくでてきません。 -------------------------------------- Miwaza J. Kanno miwaza@miwaza.com http://miwaza.com God be with you :) --------------------------------------