Subject: 詩篇117篇 イザヤ書12章(将) |
From: Shou Itou |
Date: 2006/01/17 20:14 |
To: "+saiwai.net" <saiwainet@yahoogroups.jp> |
こんにちは、+イトウショウです。 詩篇118篇14節からの箇所に似ているイザヤ12章を見ました。 ●概略 イスラエルの民は、自分たちに向けられていた主の怒りが去ったことを感謝する ようになる。民は主に信頼し、国々に対して証をする。「主に感謝せよ。主はす ばらしいことをされた。イスラエルの聖なる方は大いなる方である」と。 ●つながり 詩篇118篇14節からの箇所とイザヤ書12章は構造が似ている。その構造とはこの ように考えることが出来る。 1) 主は救いの御業を行われた(詩:14-16節、イザ:1節) 2) 信仰告白(詩:17-18節、イザ:2節) 3) 主を礼拝する招き(詩:19-20節、イザ:3-5節) 構造と関係して、つながっている言葉もたくさんある。「感謝」、「信頼」、 「ほめ歌」、「救い」、「みわざ」、等々。 構造や言葉的にはつながっている双方の箇所であるが、内容には少し相違がある ことに気づく。それは、構造の3番目、すなわち招きについての箇所で、誰を招 いているかということである。詩篇118篇では「義の門」と書かれているが、こ れはイスラエルの民のことであると推測される。一方、イザヤ書の箇所では少し 曖昧に書かれている。イザヤ書でもイスラエルの民に対して招いているようであ るが、その内容はただ単なる招きではなく、国々をさらに招くように語っている 招きである。 詩篇118:22節には重要なメサイアについての記述があるが、イザヤ書にはそれ以 上にメサイアについての、しかも重要な記述がある。イザヤ書12章の一つ前、11 章ではメサイアについて結構詳細に記されている。メサイアの生まれについては イザヤ書7:14節に書かれているように、処女降誕によって生まれるが、それは私 たちにとって理解を超えて不思議なことである(詩:23節)。-- CREC Mitaka Evangelical Church - MFK Shou Itou - Christian Homeschooler in Japan mailto:shou_itou@parkcity.ne.jp