Subject:
詩篇118篇「水曜日の聖書研究」
From:
"+ShinyaKanno" <shinya@kanno.com>
Date:
2006/01/18 11:25
To:
"saiwainet" <saiwainet@yahoogroups.jp>

+ちゃんくんです。

ペテロは使徒行伝の5章で人に従うよりも、神に従うべきですということを言う。
その前に、大祭司たちが神の御名によって教えてはならないということを命じておいたのにということを言う。
ペテロは人に従うよりも、神に従うべきであるということの理由として、キリストは十字架につけられ、殺されたけれども信頼していたので、よみがえったということを言う。

詩篇118篇の全体よりも、関連している箇所のほうが覚えている。
キリストは十字架につけられたときに、神様こそご自分の味方であることを知っていた。

主に身を避けることは人に信頼するよりも良いということは17節、18節で一番よくあらわされている。
ダニエルの三人の友達も苦しみにあったときに、本物の王様に信頼した。

118篇を書いた人はこれが十字架と復活の話をしていることを知っている。
ユダヤ人もこのことを知っている。なぜなら、彼らは実際に25-27節をやっているからである。
それだから、キリストがロバの子に乗ってこられたときに、「ホサナ、ホサナ」と言う。

ユダヤ人たちはホサナということを言うときに、118篇の引用であることを知っている。
私たちよりもこのことについてはユダヤ人たちはよく知っている。
8-9節と25節は二回の繰り返しがある。

6節、7節にも主は私の味方という言い方が二回あるが、8-9節、25節の繰り返しのようにはっきりはしていない。
15節の義人の幕屋というところがでっぱているように見える。
しかし、15節のところは19-21節と26-28節と並行していると考えることができる。

10-12節は敵の幕屋にいるかのようなんだけれども、神様の御名がある。
ということで、10-12節、15-16節、19-21節、26-28節は並行していることがわかる。
19-21節と26-28節には力、勝利の話は出てこない。

毎日の家庭礼拝のときよりも、毎週の礼拝のときのほうが特別に感謝する。
主に感謝せよという言い方は神殿がつくられたときに歌うものである。
復活は死に対して勝利したということの意味である。

みんなに捨てられるということも死んでいるという状態と同じである。

前半は出エジプトで、後半は福音書である。
実際に前半は出エジプトからの引用があって、後半は福音書に引用されている。

今日の聖書研究の中で見ていたのは、あんこのほうで、主に感謝せよの説明である。
8-9節に二回もトヴということばがある。1-4節と29節にもトヴがある。

主に感謝せよ、主は良いということを私たちは賛美する。
それにたいして、私たちは主よ。救いたまえ、私たちは主に信頼しているからと神様に叫ぶ。

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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