Subject: 詩篇118篇と出エジプト記15章のつながり |
From: Hikaru Saito |
Date: 2006/01/18 13:43 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
こんにちは。斎藤光です。 詩篇118篇と出エジプト記15章のつながりを見ました。 まず、出てくるのが主に信頼するというテーマである。 エジプトの軍がイスラエルを追いかけるとき、イスラエルは恐れ つぶやくが、主は大きなみわざを見せてくださる。だから、 イスラエルは主に信頼すべきである。エジプトの軍がイスラエルを追いかけるということが、 詩篇118篇に出てくる敵が私を取り囲んだということと似ている。 彼らは結局主によって断ち切られる。 それで、エジプトに追いかけられながらイスラエルは海の中を通って、 死んだようなものであったが、主のみわざによってもう一度生きる。 イスラエルは主のみわざを語り告げるべきなのに、そうせず、 水がないといってつぶやく。 主がエジプト人を海に沈められた後、イスラエルは主をほめたたえ、 歌を歌う。そのとき、主は私の力であると歌う。これは詩篇118篇にも出てくる。 15:6では、主の右の手の話が出てくる。ここでは二回、右の手で 敵に対して勝利すると言っているが、12節を見ると、そこにも右の手が出てくる。 これは118篇では三回くり返して出てくる、「右の手」と同じテーマである。 118篇に主のなさったこと、私たちにとっては不思議なことが出てくる。 これは出エジプト記15章で、苦い水が甘い水に換えられるというところが 似ている。 ----------------------------------------- Hikaru H. Saito mailto:hikaru@4saito.com God bless you! -----------------------------------------
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