Subject: 詩篇118篇「金曜日の聖書研究」 |
From: +ShinyaKanno |
Date: 2006/01/20 10:34 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
+ちゃんくんです。 最初118篇の構造を分析しようとしたときに、すごく混乱してしまった。 しかし、ばらばらにして、考えていくうちに、つながりがよくわかってきた。 全体を大きく二つにわけて、1-4節と29節を別にして、その中をまた四つに わけた。 今週はとくに出エジプト記15章とホサナの箇所を見た。 出エジプト記の15章2節に直接14節の言い方がはいっている。 26節の御名によって来る人という言い方を聞くときに、ホサナの箇所を思い出す。 ユダヤ人たちはキリストがエルサレムに入られるときに、118篇の言い方をつ かって、賛美する。 家を建てるものたちの捨てた石が礎の石となったということだけではなく、その 日を喜ぶというのが大切なことである。 8-9節の信頼することと25節のああ、主よ。という言い方は並行している。 なぜなら、8-9節は信頼するという言い方が二回くり返されている。 25節のああ、主よ。という言い方も同じように二回くり返されている。 1-4節のトヴということばと、8-9節の信頼することはよいのトヴは並行し ている。 26-28節のおしりの28節と19-21節のおしりの21節は並行している。 28-29節にしなかった理由はここにある。 義人でなければ、神様は呼んでも、答えて下さらない。 私たちは神様が救って下さることを知っているので、信頼することができる。 主に感謝せよ。主は良いということに対して、私たちは救いたまえ、私たちは信 頼しているからですということを叫ぶ。 どんな状態にあっても神様に信頼している人こそ義人である。 その義人はメサイアの復活、救いを求めている。 ------------------------------------- +審也@カンノファミリー mailto:shinya@kanno.com -------------------------------------