Subject:
詩篇120篇「金曜日の聖書研究」
From:
+ShinyaKanno
Date:
2006/02/03 9:38
To:
saiwainet

+ちゃんくんです。

■都上りの歌

  今週は都のぼりの歌という題がつけられている詩篇の出だしである。
  しかし、都という言い方ははいっていなくて、上る歌という題である。
  都上りの歌という題はだれかが編集してつけたものであって、もともとついて
いたものではない。
  120篇から134篇までは同じような詩篇の長さである。

■120篇のつながり

  119篇は幸いなるかなで始まっていたが、120篇にはわざわいなるかなと
いう言い方がある。

  メシェクとケダルという場所はエルサレムから一番遠い国である。
  詩人は戦争状態の町の中に住んでいる。

  詩篇120篇の中には、欺きの舌と、平和ということばが二回もくり返されて
いる。
  120篇もいつものように、大きく二つにわけて、その中をそれぞれ二つずつ
に分けて考えることにした。

  2節と6節の私ということばはヘブル語では私のたましいということばである。
  1節は神様と私の関係で、7節は私と隣人の関係である。
  1節は私が叫んだら、神様は答えて下さるということを言っている。
  しかし、7節では私が平和を話すと、隣人は戦いを望む。

■欺きの舌

  悪者たちの攻撃の中で、一番力がある攻撃は欺きの舌である。

  ラブシャケにしても、ゴリヤテにしても、彼らは欺きの舌を持って攻撃をして
くる。

  欺きの舌というときに、個人的な戦いのことを言っているわけではない。
  平和の土台の上にたてられているエルサレムに対して、偽りをもって攻撃する。

  教会を迫害するときに、剣をもってきても、その教会をつぶすことはできない。
  キリストは「教会は真理の柱、また土台である」と言う。

  サタンは荒野でキリストと戦うときに、武器をもって戦わない。ことばだけで
戦っている。
  120篇で欺きの舌について教えられているのだから、その反対に真理につい
てはどのようなことが教えられるのか。
  神様は絶対に聞いて、答えて下さるということが真理である。

  詩篇18篇でも、ダビデは苦しみの中から、叫ぶと答えられたということを歌う。
  ダビデは一番の欺きの舌を持つサウルと戦っている。

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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