Subject: 詩篇121篇 「詩篇を考える」の要約(ケイヤ) |
From: "keiya@kanno.com" <keiya@kanno.com> |
Date: 2006/02/06 12:10 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
こんにちは、+KeiyaKannoです。 「詩篇を考える」の「自然」についての章を読み、要約しました。読んでみる と、あまり結論がはっきりしていないと思いました。またイスラエルの民は、山 に住んでいて、いつも周りに畑があるので、私たちが田園風景と言うような見方 では、被造物を見ていないということは興味深かったです。 C.S.ルイス宗教著作集 5 「詩篇を考える」 西村徹訳 新教出版社 第8章「自然」pp.100-117 ----- 詩篇を書いた者たちには2種類の自然に対する接し方がある。ひとつは、自分の 生活と密着しているものとしての接し方、もうひとつは、神の創造されたもの、 被造物としての接し方である。 今の生活の仕方からは想像しがたいが、イスラエルはもともと農業の社会であ り、イスラエル人は農民であった。それで、都市に住んでいる私たちが考える田 園風景のようなものとして考える自然とは違い、自分たちの食料を得るもの、毎 日の生活において欠かせないものとして接していた。それで詩篇の中で自然につ いて歌う時に、そこからでてくる祝福のことを歌うのである。 神が創造した被造物としてこの自然を見る時に、2種類の見方がある。ひとつ は、被造物が神の律法、また神ご自身を表すものであること。もうひとつは、神 が上にある権威を持つ方として創造されたものだということである。被造物は、 神ご自身を表すものでもあるが、被造物とは完全に離れたものであるということ である。神は、他の神話にでてくる神々とは違い、自然を通してご自分の使者と される。 詩篇の自然についての描写に似ている詩はエジプトにもあった。イクナートンと 呼ばれた王が書いたものである。彼は他のエジプトのパロとは違い、一神論を推 し進めた人物であった。そのような者によって書かれた詩と詩篇の違いは、自然 がすべて神のものであるという考え方があるか、ないかである。詩篇の中ではど のような小さな動物、汚れた獣に対しても神が食物を与えてくださることを歌っ ているが、イクナートンの詩の中にはそのようなことはなく、ライオンなどを敵 として扱っている。 そのようなわけで、詩篇に書かれている自然観は、異教の神話や、詩などとは違 い、すべてが神のものであることを歌っているのである。-- +KeiyaKanno mailto:keiya@kanno.com O give thanks unto the LORD; for he is good; for his mercy endureth for ever. 1 Chronicles 16:34