Subject:
詩篇122篇「水曜日の聖書研究」
From:
+ShinyaKanno
Date:
2006/02/15 10:44
To:
saiwainet

+ちゃんくんです。

安否を尋ねるとは、平安ですかということを聞くということである。
安否を尋ねたのの一番最初は創世記43章27節である。

ヨセフが兄弟たちに安否を尋ねて、お父さんは生きているかということを聞く。
122篇はヘブル語では喜んだということばから始まっている。
122篇はエルサレムのことを喜んでいる詩篇だということが言える。

反対にエルサレムについて泣いているという箇所がある。
ルカによる福音書19章41節から44節である。
キリストはエルサレムを見て、都について泣かれた。

ここで、わかって、おまえという言い方に訳しているのか。
キリストは主の家は祈りの家でなければならないということを46節のところで
言う。
平和とはヘブル語でシャロームということばである。

エルサレムのサレムとは平和という意味である。
6節の平和のために祈れとは、エルサレムのために祈るということである。

マタイ23章、ルカ13章でもキリストはエルサレムについて嘆いている。
おの二つの箇所はルカによる福音書19章41節のクロスリファレンスにある。

マタイ23章では忌まわしいものだの話のあとにこのことが来る。
忌まわしいものを追い出さなければ、平和な町にはならない。

自分の平和、繁栄を求める人は、悪い牧者である。
忌まわしいものを追い出すダビデの子孫を待っている。

祈りの家という言い方を使うときに、みんな集まって、かってに自分の欲しい物
を祈っているようなイメージがある。
さあ、主の家に行こうと言っている人は、国々の民である。
122篇のヘブル語を見ると、シェということばが目立つ。

エルサレムとはどのような場所かマタイによる福音書3章12節に書かれている。
聖霊と火のバプテスマを授けるということがキリストが来る意味である。
契約の箱は一番最初はアララテ山にあった。

契約の箱はいろいろなところを旅している。
アララテ山→モリヤ山→シナイ山→シロ→ペリシテ→シオン→オルナンの打ち場→エル
サレム。

エルサレムが平和であった時代は、非常に短い。
主の御名に感謝せよというのが、イスラエルへの命令である。
毎週、私達は、主の御名に感謝しに行っている。

主の御名に感謝するために、人々はエルサレムに上ってくる。

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+審也@カンノファミリー
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