Subject: 詩篇123篇「主の御手」 |
From: +ShinyaKanno |
Date: 2006/02/21 11:53 |
To: saiwainet |
+ちゃんくんです。 主の御手について研究しました。 主の御手ということばがエズラ書にたくさん出てくる。 エズラ書では御手ということばは全部で6回も使われている。 その中で一番最初が7章で、主の御手が王の上にあったので、願いをかなえてく ださったという箇所である。 御手ということばは聖書の中で、全部で138回も使われている。 新約聖書では御手ということばは全部で、11回。 旧約聖書では127回。その中のほとんどがモーセ五書である。 モーセ五書の中で、何回も、何回も、力強い御手が、私達をエジプトから連れ出 したということを言う。 今日の通読の箇所でも、ダビデは、主の手に陥りたいのですということを言う。 この箇所を読めばわかるように、主の御手にはあわれみがある。 神様はあわれみ深いので、さばきを受けるときにも、そのさばきに絶えることが できる。 主は、力強い御手をもって、イスラエルをエジプトから連れ出された。 神様は左の手ではなく、右の手によって、私達を救って下さる。 このことをモーセと民は、エジプトから連れ出されたときに、歌う。 御手から出たものはすべてあなたのものであるということを第一歴代誌29章で 言う。 御手が人の上にあるということは、新約聖書では御霊が注がれるということになる。 新約聖書の中にも、神様の御手があったので、人々が信じたということがある。 ------------------------------------- +審也@カンノファミリー mailto:shinya@kanno.com -------------------------------------