Subject: 詩篇123篇 天の御座(ケイヤ) |
From: "keiya@kanno.com" <keiya@kanno.com> |
Date: 2006/02/21 12:06 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
こんにちは、+KeiyaKannoです。 この詩篇を考える上でキーワードとなる「天の御座」について研究しました。 ■出エジプト記17章 イスラエル人は荒野を行進している時にアマレク人と戦った。ヨシュアがリー ダーとして戦い、モーセは丘に登って祈っていた。彼は主に向かって手を上げて いたので、アマレクに対して勝利を得ることができた。その時にその戦った場所 をアドナイ・ニシと呼ぶが、それは「主の御座の上の手」のことであった。この 箇所で主は御座にいて、手で戦ってくださるということが言われている。 ■詩篇9篇 この詩篇で詩人は主に感謝し、主の御名をほめたたえる。それは主が敵に対して 正しいさばきをしてくださるからであり、永遠にみざにいて救いを与えてくださ るからである。そのために貧しい者たちは主にあわれみを求めるのである。 ■詩篇29篇 主は全世界にさばきをなされることによってご自分の栄光を表されるが、そのさ ばきは主の声による。主は大きな声でさばきをなし、最終的にご自分の民に祝福 を与えられる。それは主が天で御座に着いておられるためにできることである。 ■詩篇80篇 敵の中であざけりとなっている民は主に向かって祈り、いつまで怒っておられる のかと言って訴える。彼らは、自分たちを元に戻し、ご自分の手によって植えら れたぶどうの木が助けられることを求めている。それを求めている主はケルビム の上にある御座に着いておられる。-- +KeiyaKanno mailto:keiya@kanno.com O give thanks unto the LORD; for he is good; for his mercy endureth for ever. 1 Chronicles 16:34