Subject:
詩篇123篇 「天の御座」(将)
From:
Shou Itou
Date:
2006/02/21 21:02
To:
"+saiwai.net" <saiwainet@yahoogroups.jp>

こんにちは、+イトウショウです。

1節にある「天の御座」という言葉についてTSKで見ました。

■詩篇11:4
 【主】は、その聖座が宮にあり、
 【主】は、その王座が天にある。
 その目は見通し、
 そのまぶたは、人の子らを調べる。

  主は正義を持って人間を裁かれる。そしてその裁きは天から下るものであ
る。悪者は主を畏れるが、詩篇123篇の詩人のような信仰を持っている者は、大
胆に主に祈ることが出来る。
  ダビデと詩篇123篇の詩人は共通の攻撃を受けており、それは魂への攻撃で
ある。詩篇123篇の詩人もダビデと同じような苦しみを受けていたのではないだ
ろうか。

■詩篇113:5
 だれが、われらの神、【主】のようであろうか。
 主は高い御位に座し、

  「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を……実に十字架の死にま
でも従われました(ピリピ2:6-8)。」と書かれているように、私たちの神は憐
れみを持っておられる。これは他の偶像や神々には無い御性質である。天で全て
を支配しておられた神が、人間となって人類の罪を贖って下さったということ
は、この上もない恵みである。
  神は、ご自分が創造された人間を常に御覧になっておられ、ご自分を信じて
いるが苦しんでいる者には必ず報いを与えられる。詩篇123篇の詩人はこのよう
な希望を持っていたのではないだろうか。

■マタイ6:9
 だから、こう祈りなさい。
 『天にいます私たちの父よ。
 御名があがめられますように。

  私たちは「主の祈り」を毎週唱えて祈っている。私たちはその意味を覚えな
ければならない。
  「天にいます」というのは色々な意味を含んでいる。それはつまり、神が全
世界の創造主であること、神が全世界を支配しておられること、神が無限に尊大
なお方であるということ、等々である。私たちがそのような神に祈りを捧げるこ
とが出来るということは恵みであり、その答えが来るということもまた恵みである。

-- CREC Mitaka Evangelical Church - MFK Shou Itou - Christian Homeschooler in Japan mailto:shou_itou@parkcity.ne.jp