Subject: 詩篇124篇 「主は味方」(将) |
From: Shou Itou |
Date: 2006/02/28 21:19 |
To: "+saiwai.net" <saiwainet@yahoogroups.jp> |
こんにちは、+イトウショウです。 主が味方であるということを聖書から見ました。 ■第1サムエル記14:6 ヨナタンは、道具持ちの若者に言った。「さあ、あの割礼を受けていない者ども の先陣のところへ渡って行こう。たぶん、主がわれわれに味方してくださるであ ろう。大人数によるのであっても、小人数によるのであっても、主がお救いにな るのに妨げとなるものは何もない。」 この箇所はダビデと関係が深いヨナタンについてである。彼はその父サウル とは違って、主に信頼していた人であった。彼は主が味方でおられるということ を信じて信頼していたのであった。そのような人々には、124篇に書かれている ような災いには決して訪れない。訪れることがあっても、それは主が彼の成長の ために与えられる試練であり、災いではない。 ■詩篇118;6-7 主は私の味方。私は恐れない。人は、私に何ができよう。 主は、私を助けてくださる私の味方。私は、私を憎む者をものともしない。 詩篇118篇は、主が味方であり、その助けが来たことを感謝して讃美する詩 篇である。主が味方であられるので、信じる者たちは人を恐れないのである。そ れは、主が人間の上に立つ方であって、人間の魂をも滅ぼすことが出来る方であ るからである。この世の人々は魂までも滅ぼすことは出来ないので、主を畏れる ことが重要なのである。 主の御業を受けた人々は、それを讃美しなければならない。なぜなら、信仰 は行いを伴わなければむなしいものであるからである。-- CREC Mitaka Evangelical Church - MFK Shou Itou - Christian Homeschooler in Japan mailto:shou_itou@parkcity.ne.jp