Subject: 詩篇124篇「水曜日の聖書研究」 |
From: +ShinyaKanno |
Date: 2006/03/01 10:31 |
To: saiwainet |
+ちゃんくんです。
■詩篇124篇の訳
124篇の1節に味方ということばがあるわけではないが、意味としてはそう
いうことである。
■詩篇124篇の構造
前半の1-5節は大水から救われるということで、後半の6-8節は鳥のよう
に救われるということである。
2節の人々とはアダムということばで、個人名と同じである。
イスラエルは個人名だが、グループ名でも使われる。
前半も、後半も、事件のところが三つなのか、それとも、ABBになっている
のかはわからない。
三つ、それぞれの事件の違いがとくにわかるわけではない。
大水が越えていかないということは、私たちが水の上にいかなければならない。
ノアの洪水のときには、箱舟が上にあげられて助け出された。
出エジプトのときには、壁ができて守られた。このような二つの助け方がある。
大水は何をあらわしているのか。
大水は敵の攻撃をあらわしている。
6節では、敵がどうしているというようなことは言わなくて、たとえだけで終
わってしまう。
わなから助け出されるということが、天地創造主の御名にある助けである。
■大水研究、翼研究
昨日はみんなで、大水についていろいろな聖書箇所を見て、考えた。
69篇の15節のようなストーリーはヨナ書にある。
ヨナは、海に落とされ、生きたまま魚にのみこまれた。
大水の中から助け出されたのの一番最初の人物はノアとその家族であった。
黙示録の中で、女に翼が与えられて、蛇から守られたというストーリーがある。
ここから犬ではなく、へびが鳥のことを歯のえじきとするということがわかる。
翼も、大水についても詩篇18篇で言われている。
詩篇18篇は第二サムエル記22章で、ダビデがサウルから逃れたときに歌っ
た歌である。
このように研究してきて、大水と翼は何をあらわしているのか。
大水と翼はケルビムをあらわしている。
ケルビムは契約の箱を守るものである。
ノアの箱舟は契約の箱をあらわしていて、ノアの箱舟は大水から救われた。
大水から救われるというときに、契約の箱を思い出さなければならない。
わなから救われるというときには、ケルビムを思い出さなければならない。
イザヤ書の中に翼は日が打つことのないように守るということがある。
ヨナは日に打たれて、死にたいと神様に叫ぶ。
■天地を造られた主の御名
このように、大水、翼について研究してきて、こまるのは、天地を造られた主
の御名にあるということである。
助けは主の御名にあるということならまだわかる。
なんで、天地を造られた主という言い方で、神様を呼ぶのか。
なぜ、天地を造られた主の御名という言い方を使うのかについて調べるにはど
うしたらよいのか。
まずは、天地を造られた主という言い方の箇所を見なければならない。
創世記に戻るのではなく、都の上りの詩篇の中で見なければならない。
天地を造られた主という言い方について見るために、121:2、134:3
といっしょに見なければならない。
135篇には天地を造られた主という言い方は直接出てこないが、そのことに
ついてもっと長く説明されている。
121篇を学んだときには、天地を造られた神様は、人に造られた神の反対で
あるということを言っていた。
そのときに、115篇や135篇を見ていた。
136篇でも、天地を造られた神様という言い方をする。
135篇や、136篇は都上りの歌とは言われないが、つながっている。
天地を造られた神様というときに、その神様に信頼することを求めている。
ヨブに対する神様の答えは、私が全部造りましたということであった。
115篇でも、主に信頼せよということが命じられている。
この詩篇にも、天地を造られた主という言い方が出てくる。
■今日の研究課題
129篇の出だしは124篇の出だしと形が似ているので、いっしょに見なけ
ればならない。
都上りの歌とのそれぞれのつながりも見なければならない。
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+審也@カンノファミリー
mailto:shinya@kanno.com
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