Subject: 詩篇124篇「天地を造られた主」 |
From: +ShinyaKanno |
Date: 2006/03/02 11:44 |
To: saiwainet |
+ちゃんくんです。 天地を造られた主について見ました。 今日の通読の箇所であったアモス書4章にもこれをあらわす言い方があった。 アモス書4章13節で、「見よ。山々を造り、風を造り出す方、その名は万軍の 主」と言う。 大水のストーリーというときにヨナのストーリーを思い出す。 実は、1章9節に、「海と陸を造られた天の神、主を礼拝しています」というこ とを言う。 大水が襲ってきたときに、船に乗っていた人たちは、自分たちの神様に祈った。 ヨナだけは、眠っていたので、船に乗っていた人に、あなたはだれですかと言わ れる。 そこで、ヨナは、このような言い方を使って、答える。 天地を造られた主という言い方は121篇にもある。 134篇もこの言い方で終わるが、121篇と124篇のように同じ言い方では ない。 121篇も、124篇も、私の助けは天地を造られた主にあるという言い方である。 134篇は、天地を造られた主がシオンから祝福されるようにと言う。 創世記14章で、メルキゼデクがアブラハムを祝福するときに、天地を造られた 方、神よりという言い方を使う。 メルキゼデクは大祭司で、サレムの王でもある。 メルキゼデクには系図がなく、お父さん、お母さんもいない。 そのあと、アブラハムがソドムの王に誓うときにも、この言い方を使う。 ヒゼキヤは神様に祈るときに、天と地を造られた神よと言って祈る。 詩篇121篇を学んだときには、天地を造られた神様というのは、手で造られた 神ではないということであると言っていた。 そのときに、手で造られた神について書かれている箇所と一緒に見ていた。 例えば、115篇や135篇のことである。 コロサイ1章16節がこの言い方の一番最後であるということが言えるのではな いか。 ------------------------------------- +審也@カンノファミリー mailto:shinya@kanno.com -------------------------------------