Subject: 詩篇125篇「火曜日の聖書研究」 |
From: +ShinyaKanno |
Date: 2006/03/07 11:19 |
To: saiwainet |
+ちゃんくんです。 ■イスラエルの上に平和があるように 構造を考えるときに、「イスラエルの上に平和があるように」という言い方が どこまで大切かを見なければならない。 イスラエルの上に平和があるようにというのがどういう意味なのか知るため に、128篇を見なければならない。 125篇ではイスラエルの上に平和があるようにという言い方と最初の言い方 が並行していると考えることができる。 しかし、128篇でもそのようになっているのか。 イスラエルに対してシャロームと言っているような言い方である。 ガラテヤ人への手紙6章16節にも、イスラエルの上に平安とあわれみがある ようにという言い方がある。 この言い方は挨拶であるということでいいんだろう。 それぞれの手紙の最後にも、これに似たような言い方がある。 ガラテヤ人への手紙も挨拶でつかっている言い方である。 聖書の最後の黙示録22章21節もこの言い方で終わっている。 ■詩篇125篇の構造分析 4-5節のイスラエルの上にの前まではヘブル語を見るとABBAになっている。 1-3節も同じようにABBAになっている。 そうすると、でっぱてしまうのが「イスラエルの上に平和があるように」とい う言い方である。 1節と2節は山々、とこしえということばが並行している。 3節の頭にはキー(なぜなら)という接続詞がある。 主に信頼する人はシオンの山のようで、主は山々のようである。 悪の杖が、正しいものの上にとどまらないで、正しいものの手が悪の上にとど まらないということになっている。 悪者の杖と、正しい者の手が並行している。 とどまることないというのと、伸ばさないというローということばも並行して いる。 このように考えてくるときに、最後の行は全体に対する挨拶であると考えるこ とができる。 ------------------------------------- +審也@カンノファミリー mailto:shinya@kanno.com -------------------------------------