Subject: 詩篇127篇「火曜日の聖書研究」 |
From: +ShinyaKanno |
Date: 2006/03/21 10:16 |
To: saiwainet |
+ちゃんくんです。 ■詩篇127篇の訳 2節は別訳で、主はその愛するものに眠りを与えるとある。 この訳にしても、新改訳にしても、安息を与えてくださるということにはかわ りない。 そこまで、大きく意味がかわってしまうわけではない。 この与えるということは128篇のパンを与えるというのとつながっている。 ■127篇のそれぞれの節の意味 早く起き、おそく寝るというときに、今の時代の人は出勤、労働のことを考え てしまう。 しかし、これは見張りについて話している。 神様は、創世記でアダムが眠っている間に、助けてエバを与えてくださった。 辛苦の糧を食べるということは、労働のことをいっていると考えることもできる。 聖書の中で、矢筒の子という言い方を使う。 哀歌3章13節の矢筒の矢ということばは、矢筒の子ということばである。 5節の別訳では、敵と論争するということになっている。 5節でいっている敵とはだれのことか、知るべきである。 イザヤ書65章20節、23節 ゼカリヤ書8章1-8節 2節までを見ると、お父さんのことをいっているかのように見える、しかし、 お母さんについていっていると考えることもできる。 4節の矢と、5節の矢は同じたとえを話しているかのように読んでしまう。 ■都上りの歌の中での位置づけ やっぱり、127篇と128篇はいっしょに見て、考えなければならない。 127篇は幸いなるかなで終わって、128篇は幸いなるかなで始まって、終 わっている。 127篇は平和について話しているのではないか。 都上りの歌の一連の詩篇の中では平和というのが一つのテーマになっている。 町を見張るということは平和で、眠ることができるというのも平和である。 23篇では、敵の真ん中でご飯を食べるということをいっている。 ■ソロモンによる ソロモンによるといわれる一つの理由としては、むなしいという言い方が何回 もくり返される。 伝道者の書は空の空という言い方で始まる。 伝道章の書1章3節で、日の下で、どんなに苦労してもむなしいという。 伝道者の書の結論は神を恐れなさいということである。 これはまさしく128篇でいわれていることと同じである。 眠っている間にというのは、ソロモンに夜お告げがあったということ。 家を建てるというのは、ソロモンが神殿を建てたということになる。 このようなことから、ソロモンによるということがいわれている。 ■127篇の構造 1-2節と3-5節の前半と後半にわかれることはだれでもわかる。 しかし、それぞれの段落のつながりがわからない。 建てるのはむなしい、守るのはむなしいに対して、5節で、建てることができ る、守ることができるということになっている。 空しいことに対して、子どもがいっぱいいるということが並行している。 ヨブは、主を恐れるもので、子どもを取られたが、合格したときに、子どもが また与えられた。 ------------------------------------- +審也@カンノファミリー mailto:shinya@kanno.com -------------------------------------