Subject: 詩篇127篇 「辛苦」(将) |
From: Shou Itou |
Date: 2006/03/21 13:41 |
To: "+saiwai.net" <saiwainet@yahoogroups.jp> |
こんにちは、+イトウショウです。 「辛苦」という言葉をみました。 この言葉はヘブル語で旧約聖書において、詩篇127:2を含めて7回しか使われてい ない特別な言葉である。 ■創世記3:16 女にはこう仰せられた。「わたしは、あなたのみごもりの"苦しみ"を大いに増 す。あなたは、"苦しんで"子を産まなければならない。しかも、あなたは夫を恋 い慕うが、彼は、あなたを支配することになる。」 ■箴言5:10 そうでないと、他国人があなたの富で満たされ、あなたの"労苦"の実は見知らぬ 者の家に渡るだろう。 ■箴言10:22 主の祝福そのものが人を富ませ、人の"苦労"は何もそれに加えない。 ■箴言14:23 すべての"勤労"には利益がある。おしゃべりは欠損を招くだけだ。 ■箴言15:1 柔らかな答えは憤りを静める。しかし"激しい"ことばは怒りを引き起こす。 ■エレミヤ22:28 このエコヌヤという人は、さげすまれて砕かれる"像"なのか。それとも、だれに も喜ばれない器なのか。なぜ、彼と、その子孫は投げ捨てられて、見も知らぬ国 に投げやられるのか。 これら列挙した箇所のように、使い方は様々であり、いまいちわかりにくい。箴 言10:22で主の働きと対比されている部分はこの詩篇と似ているかもしれない。 ※この言葉は”男性形名詞”だそうである。-- CREC Mitaka Evangelical Church - MFK Shou Itou - Christian Homeschooler in Japan mailto:shou_itou@parkcity.ne.jp