Subject:
127篇 構造 裕子
From:
"SUWAZONO'S" <suwazonos@jcom.home.ne.jp>
Date:
2006/03/21 15:04
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

こんにちは 諏訪園裕子です。

詩篇127篇の構造を考えました。

1-2 主がなさるのでなければ家を建てる、町を守る、日々の糧を食べる
    のはむなしい。
3-4 子供たち、胎の実は報酬であり、若いときの子は勇士の矢

 5  幸いなことよ。矢筒が矢で満ちている人は敵の前で恥をみない。


主がなさるのでなければこれらのことはむなしい、ということと子供、胎の実とはどうつながるのか。

胎と矢がいっしょに出てくる箇所を探したら、イザヤ49:1b~3にあった。
イザヤ49:1b~3
主は、生まれる前から私を召し、母の胎内にいるときから私の名を呼ばれた。主は私の口を鋭い剣のようにし、御手の陰に私を隠し、私をとぎすました矢として矢筒の中に私を隠した。そして、私に仰せられた。「あなたはわたしのしもべ、イスラエル。わたしはあなたのうちに、私の栄光を表す」
そしてこの直後、イザヤは「私はむだな骨折りをして、むなしく私の力を使い果たした。それでも・・・」と続いている。

質問 子供、胎の実は文字通りの意味か、または何かの象徴なのだろうか。