Subject: 詩篇127篇「安息を与える」 |
From: +ShinyaKanno |
Date: 2006/03/22 11:11 |
To: saiwainet |
+ちゃんくんです。 神様が安息を与えてくださることについて考えました。 辛苦の糧の反対は、眠りを与えてくださるということが127篇からわかる。 第二サムエル記7章で、ダビデは安息が与えられたときに、 神様の家を建てたいということを願った。 しかし、神様は、私はあなたに子孫を与えるという答えをされた。 家が建っていても、子孫がいなければ、平和ではない。 ヨシヤや、ヒゼキヤは良い王様ではあったが、子どもはだめであった。 ヨシヤとヒゼキヤは完全な平和にはなれなかった。 23篇でも、ダビデは、悪者も真ん中でご飯を食べられるといっている。 安息を与えてくださるということは、子孫がいるということ、場所があるという ことである。 神様は、創世記でもなんどもアブラハムに子孫をふやす、この地を与えるという ことを約束された。 安息は平和ということで、平和は都上りの歌の詩篇の一つのテーマでもある。 平和とはすごく大切なことである。 普通のクリスチャンではない人は、平和だけを求めようとする。 子孫がいなければ、王国は続くことはできない。S ------------------------------------- +審也@カンノファミリー mailto:shinya@kanno.com -------------------------------------