Subject:
詩篇127篇 128
From:
"Miwaza J. Kanno" <miwaza@miwaza.com>
Date:
2006/03/23 11:51
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

みーちゃんです。

詩篇127篇と詩篇128篇を少し対比してみました。

■幸い:

詩篇127篇は最後に、”幸いなことよ。”という言い方が出てきます。そして、
詩篇128篇には、”幸いなことよ。”という言い方が、一番最初に出てきます。
詩篇127篇の場合は、”矢筒をその矢で満たしているもの”が幸いである、とい
われています。これは、詩篇128篇で、幸いであると言われている”主を恐れ
る者”のたとえをつかった言い方です。

■食物:

詩篇127篇で、もし主の愛がないならば、辛苦の糧を食べることはむなしい、
と言われています。反対に、詩篇128篇では、もし、主の愛があるならば、勤
労の実をたべることは幸福である、と言われています。

■祝福の対象:

両方の詩篇には、”祝福”の話がでてきます。その祝福の対象とは、詩篇127篇
では”主が愛する者”です。つまり、これは、ぐたいてきに言えば、詩篇128篇
1,4節にでてくる”主を恐れる者”です。主を恐れるならば、主は愛してくださ
るということです。

■平和:

神様の祝福に含まれることの一つは、ぐたいてきに言うと”平和”です。詩篇
127篇の場合は、この平和は、”眠り”と言い方で出てきます。そして、詩篇
128篇には、6節に直接”平和”という言い方がでてきます。

■矢と実:

この二つの詩篇には、神様が愛する者、ご自分を恐れる者に与えてくださる、祝
福が、”子孫”というぐたいてきな者で表されています。この”子孫、子たち” に
ついて、詩篇127篇では、”矢”という言い方で、そして、詩篇128篇では”
実”という言い方で書かれています。

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 Miwaza J. Kanno
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 God be with you :)
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