Subject:
詩篇128篇「エルサレムの平和」
From:
+ShinyaKanno
Date:
2006/03/28 11:11
To:
saiwainet

+ちゃんくんです。

エルサレムが平和であるということについて考えました。

エルサレムの上に平和があるということは非常に大切なことである。
都上りの歌の一連の詩篇の中だけでも三回もエルサレムの平和について歌われて
いる。
122篇、125篇、128篇である。

128篇と125篇はイスラエルの上に平和があるようにという言い方で終わっ
ている。
結論が同じである。どちらの詩篇でもこの言い方が飛び出しているように見える。

128篇のエルサレムの繁栄を見よの繁栄はトヴ。
しかし、122篇の繁栄は平和ということばで、日本語では同じだが、ヘブル語
ではどちらとも違うことばである。

エルサレムが平和であるということは、子どもがたくさんいる、食べ物があると
いうことによってあらわされる。
また、もちろん正しい裁きが行われていなければ、平和にはならない。
ソロモンの時代には正しいさばきが行われていたので、平和であった。

多くの国々の王様たちは、エルサレムが平和であることを見に来た。
子どもがいなければ、王国は続かない。
もちろん、平和にはなれない。リーダーがいなければ導く人がいないので、みん
なめちゃくちゃになってしまう。

エルサレムの名前そのものが平和である。
名前のとおりに平和でなければ、恥である。

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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