Subject: 詩篇128篇「水曜日の聖書研究」 |
From: +ShinyaKanno |
Date: 2006/03/29 10:49 |
To: saiwainet |
+ちゃんくんです。 ■128篇の訳 5節と6節の見よはヒネーということばではなく、ただの見ろという意味である。 この見よということばは創世記1章の創造の時の見ると同じことばである。 創造の時に神様は創造されたものを見て、善とされた。 ■家の奥 「家の奥」にいるとはどのような意味なのか。 祝福されていることにはかわりはない。 妻が家の奥にいることと、子どもが食卓を囲んでいることは並行している。 直訳のところに「家の隅」となっている。 ■128篇の中での並行 1節は幸で始まって、2節は幸が二行目にある。 1節と2節の後半、2節の前半と3節が並行している。 前半はこのように並行していると考えることができる。 ■イスラエルの上に平和 125篇を学んだときにはこの言い方を別にして考えていた。 128篇も同じように、別にして考えるべきなのか。 ■子らの子 ほんとは呪われて子どもの子ども見られなくなったはずである。 子孫がたくさんいるということは、神様がその家を善とされたということである。 いのちの木は豊に実を結ぶ木の象徴の一つでもある。 ■主を恐れる 主を恐れることによって、いのちが与えられる。 主を恐れることの祝福は子ども、食べ物によってあらわされる。 ■幸い 128篇の幸いなるかなを見るときに、1篇と119篇を思い出す。 この詩篇はヨシュア的、新しいアダム、ソロモン的ということが言える。 1篇の昼も夜も口ずさむということはヨシュア記1章8節である。 ■127篇とのつながり 127篇はむなしいで、128篇は 実を結んでいるということで反対である。 あえて言うならば、127篇は祭司、128篇は王様ということになる。 ------------------------------------- +審也@カンノファミリー mailto:shinya@kanno.com -------------------------------------