Subject: 詩篇129篇 通りがかりの人々 |
From: "Mikuni Kanno" <mikuniML@kanno.com> |
Date: 2006/04/05 8:30 |
To: <saiwainet@yahoogroups.jp> |
+みくにです。 詩篇129篇では、通りがかりの人も祝福しないと書いてあったので、他の所で は何と言っているかを探しました。 ■第一列王記9:8 宮が廃墟となるとき、そのそばを通り過ぎる者はみな、驚いて、『なぜ、主はこ の地とこの宮にこのような仕打ちをされたのだろう。』というであろう。 ■申命記29:24-28 主がイスラエルに対して、激しく怒り、彼らを地から根こぎにされると、すべて の国々はそれを見て驚き、『なぜ、主はこの地にこのようなことをしたのか。』 という。 ■第二歴代誌7:21 もし、イスラエルが主のおきてと命令を捨て、他の神々に仕え、それを拝むな ら。主は彼らに与えた地から彼らを根こぎにし、宮を投げ捨て、すべての国々の 間で物笑いとされる。 それで、そのそばを通り過ぎる者は驚いて、「どういうわけで、主はこの地と宮 にこのような仕打ちをされたのだろうか。」という。 ■まとめ: 「主の祝福があなたがたにあるように。」という言い方は、挨拶である。これ は、普通に近所を通ったときに、「こんにちは。」と挨拶することと多分同じで ある。 しかし、上の3つの箇所は、主の祝福があるようにとは言わず、主がイスラエル になされたことを見て、驚いている。普通は、ソロモンの時に、シェバの女王が 来たように、イスラエルに対する主の祝福を見て、驚くはずである。