Subject: 詩篇129篇「水曜日の聖書研究」 |
From: +ShinyaKanno |
Date: 2006/04/05 10:41 |
To: saiwainet |
+ちゃんくんです。 ■129篇の訳し方 最後の主の名によって祝福しますという言い方を別にする人がいる。 なぜなら、124篇とのつながりと考えるとそのようになってくる。 最後の行は別に考えたほうがよいだろう。 124篇の最後は私たちの助けは天地を造られた主の御名にあるという言い方 で終わっている。 ■苦しみ イスラエルの歴史の中では、イスラエルが悪いということしか目立たない。 しかし、イスラエルは小さいな国なので、よく苦しめられてしまう。 イスラエルについて、大いなる国民とすると言われているが、他の歴史にのる ような国ではなかった。 ソロモンの時代でさえ、領土が広がったわけではない。 年寄りになってから、苦しめられているのではなく、生まれたときから苦しめ られている。 若いころからというのは、最初からという意味である。 124篇と同じように、苦しめられたけど、神様はともにいてくださったとい うことになっている。 耕すものは背に鋤をあてるということは、奴隷にして、耕させるということで ある。 創世記15章で使われている苦しめられということばは畝ということばである。 しかし、129篇の1節と2節の苦しめたということばとは違う。 127篇の若いときの子らと129篇の若いときからというのは同じことばで ある。 若いときの子らは強くて、負けることがないはずである、それなのに苦しめら れている。 ■129篇の構造 いつもと同じように、前半と後半にわけて、その中を四つずつにわける。 前半は正しいものが奴隷とされて、実を結べなくなっていた。 しかし、後半では目には目で悪者は実を結べなくなっている。 今回の構造はこのような前半と後半のつながりになっている。 神様は正しいということは、善には善、悪には悪にしてくださるということで ある。 神様は正しくさばいてくださらないということを敵は攻撃してくる。 ------------------------------------- +審也@カンノファミリー mailto:shinya@kanno.com -------------------------------------