Subject:
詩篇130篇「木曜日の聖書研究」
From:
+shinya@kanno.com
Date:
2006/04/13 11:21
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

+ちゃんくんです。

130篇「木曜日の聖書研究」06/04/13 

■赦しくださるとは?

・130篇から言えることは

3節の「不義に目を留めない」ということである。
また、赦されると御前に立つことができる。
4節の恐れるべき神=赦しの神。
恐れるべき神という言い方はネヘミヤの祈りにも、ダニエルの祈りにも出てくる。
(ダニエル書9:4節、ネヘミヤ書1:5節、9:32節)
赦しはともにということと、7節の恵みがともに、豊かな購いがともには平行してい
る。
赦されると、私たちが呼ぶと聞いてくださる。
今日の通読の箇所であるハバククの中では、呼んでも聞いてくれないということだっ
た。
主を待ち望むということは、不義が赦されることを待つということである。
主を待つというテーマは来週の131篇にも出てくる。
不義が赦されるというときに、悪者がさばかれるというのも含まれている。
主を待つということとみことばを待つということは平行している。
ハバクク1:4節には律法が眠っているということがある。
弱っているときに、サタンは攻撃してくる。
神様の命令を聞かなかったので、悪者の攻撃を招いてしまった。
聞いていないという時になにも聞いてないということではなく、別のものを聞いてい
るということである。
これは偶像礼拝である。
神様のみことばを聞くときに、善が善とされて、悪が悪とされる。
伝道者の書の中で、善が悪とされて、悪が善とされることをこまっている。

・ダニエルの祈りから言えることは

ネヘミヤの祈りとソロモンの祈りも見ればわかるように、赦しは神殿につながってい
る。
そうすると、神殿は赦しの場所であることがわかる。
ソロモンは七つの不義について祈っている。
ソロモンは祭壇の上にのって、祈っている。
ネヘミヤの場合は、灰をかぶって祈っている。
灰をかぶるということは、自分をいけにえにしているということである。
ここから、不義についてどのようなことが言えるのか。
ダニエルの祈りの中では、まず最初に、みことばを聞かない、守らないということが
不義である。
みことばに書かれているとおりののろいを招いた。
それなのに、神様に立ち返ろうとしなかった。
主の御怒りは敵の攻撃によって、あらわされる。
聖所が荒らされると、赦しの場所がなくなるということである。
解決として、私たちの声を聞いてくださいということである。
ネヘミヤも、ソロモンの祈りも同じように見ると、同じことを言っているのがわかる
。
このように見てくると、130篇は神殿再建を求める祈りであることがわかる。
不義の赦しは個人的なことではない。
神様の御名があがめられるために、不義の赦しを求めている。

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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