Subject: 詩篇130篇「主を待つ」 |
From: +shinya@kanno.com |
Date: 2006/04/13 12:26 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
+ちゃんくんです。 「主を待つ」という言い方を見ました。 5節のクロスリファレンスを見るときに、33篇が出てくる。 33篇ではなんども、待ち望むという言い方が何度も出てくる。 とくに、後半のほうでよく使われている。 33篇の結論は主を待ち望むときに、恵みがあるようにということである。 次に思い出すのが、27篇の言い方である。 27篇でも、結論のところで、待ち望めということが言われている。 かっこいい言い方で、覚えてしまう言い方でもある。 創世記49章18節が待ち望むという言い方が直接出てくる最初の箇所である。 詩篇は25篇3節が最初である。 25篇では主を待ち望むものは恥を見ることはないということを言っている。 130篇でも、不義が赦されなければ、敵に攻撃されて、恥をかいているかのような 状態であるということが言える。 62篇では主を待ち望んでいる理由は、救いは神から来るということになっている。 イザヤ書30章18節で、主はあなたをあわれもうとして立ち上がられる。 幸いなことよ。主を待ち望む者はと言う。 待ち望むというときに、となりの131篇とのつながりを見なければならない。 131篇には130篇にある同じ言い方がある。 イスラエルよ。今よりとこしえまで主を待て。 ------------------------------------- +審也@カンノファミリー mailto:shinya@kanno.com -------------------------------------