Subject:
詩篇131篇 心が高ぶらない
From:
"Mikuni Kanno" <mikuniML@kanno.com>
Date:
2006/04/18 11:14
To:
<saiwainet@yahoogroups.jp>

+みくにです。

詩篇131篇の1節の心が高ぶらないということを、TSKのクロスリファレンス
から探しました。

■民数記12:3

モーセは地上の誰にもまさって非常に謙遜であった。ここから、心が誇らない、
目が高ぶらないということの反対は、謙遜だということが分かる。

■申命記17:20

王はみおしえを書き写して、自分の手元に置き、一生の間これを読まなければな
らない。それは、彼が主のおきてを守り行い、心が高ぶることがないためであ
る。高ぶらないためには、命令を守らなければならない(第一テモテ6章にもあ
るように)。

■マタイ11:29

キリストは心優しく、へりくだっているから、わたしから学びなさいと言ってい
る。そうすればたましいに安らぎが来る(たましいが静められ、和らげられ
る)。

■使徒行伝20:19

パウロはエペソに使いを送って、教会の長老たちを呼んだ。そして、自分が謙遜
の限りを尽くして、涙をもって、様々な試練の中で主に仕えたと告げた。

■第一テサロニケ2:6,7,10

パウロはあなたがたの中で、母がその子供たちを養い育てるように(131:2
とつながっている?)優しくふるまったといっている。また、神はその敬虔なふ
るまいをあかししてくださる。

■まとめ:

これらの箇所を見ると、心が誇らず、目が高ぶらないという事の反対が、謙遜、
または敬虔であることが分かる。モーセやパウロは謙遜で敬虔な人であった。敬
虔な者になるためには、主のおきてを守らなければならない(申命記17章、第
一テモテ6章)。