Subject: 詩篇131篇 主を待つ |
From: "hikaru4saito" <hikaru@4saito.com> |
Date: 2006/04/19 20:43 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
こんにちは。斎藤光です。 主を待つということについて新約聖書の中から見ました。 ●ルカ1-2章 イスラエルが慰められることを待ち望んでいた…。 ザカリヤ、シメオン、ハンナ、その他のイスラエルが慰められることを待ち望んでいる人たちが、キリストが生まれたことを祝い、喜んで主に喜びの賛美を捧げる。主は約束されたとおりにメサイアを与えられたので、人々はそれを喜ぶ。 ●ローマ7:15-25 私は、本当にみじめな人間です。だれが、この死の身体から私を救い出してくれるのでしょうか。 パウロは自分のしていることが分からないと言っている。それは、肉にある罪の律法と神の律法があるからである。しかし、そこから贖いだしてくださるのは、キリストである。 パウロはキリストが贖ってくださることを喜び、感謝している。 ●ローマ8:25 もしまだ見ていないものを望んでいるものを望んでいるとしたら、 私たちは忍耐を持って熱心に待ちます。 パウロはここで「望み」の話をしているが、何を待ち望んでいるのかというと、身体のあがない、御霊をである。 ●第一コリント1:7 その結果、あなた方はどんな賜物にも欠けることなく、また、熱心に私たちの主イエス・キリストの表れを待っています。 コリントの人々は、キリストの表れを待っている。そして、キリストもその日に攻められることのないものとして堅く保ってくださる。パウロはコリントの人々に一致を求めている。 ●黙示録 彼らは大声で叫んでいった。「聖なる、真実なる主よ。いつまで、さばきを行わず、地に住むものに私たちの血の復讐をされないのですか。」 キリストの証しのために殺された聖徒たちは、主に自分たちの復讐を求める。 主はその敵、バビロンに対して復讐をされ、バビロンは滅びる。そして聖徒たちは主をほめたたえる。