Subject:
詩篇131篇「木曜日の聖書研究」
From:
+shinya@kanno.com
Date:
2006/04/20 10:50
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

+ちゃんくんです。

131篇「木曜日の聖書研究」06/04/20 

今日の通読の箇所であったゼパニヤ書には131篇思い出すようなテーマがたくさん
ある。
1章7節に神である主の前に静まれという言い方がある。
3章8節にはわたしを待てという言い方もある。
彼らは高慢だという言い方も何回も出てくる。

カルヴァンの本の中では131篇の雰囲気が違う。
131篇をほとりの信者が歌っていると考えるのではなく、王様が歌っている考える
と、雰囲気が変わる。
ゼパニヤ書でも民のリーダーが高慢になっている。
普通の人が高慢になっていると考えると、大げさに聞こえてしまう。
しかし、王様やリーダーが高慢になっていると考えると、意味がもっとよくわかる。

131篇の題のところにダビデによると書いてあるが、ほんとにダビデが書いたかど
うかはわからない。
ダビデが131篇を歌ったかもしれいない。

131篇を王として考えることは非常に大切なことである。

130篇のときにもやったが、不義というときに、敵がいないかのように読んでしま
う。
131篇も同じように、王様時代に生きていなかったので、敵がどのようなものかが
わかっていない。
私たちも、普通の生活の中で、サタンと戦っているという意識を持たなければならな
い。

都合の良いことがあるように、主を待つのではない。
不義を悔い改めるのが130篇で、131篇はその後、主に信頼するということにな
る。

正しいものが勝利することを待っている。
主の宮が回復されることによって、勝利があらわされる。
主の宮がこわれていることを高ぶっているものたちは、そしる。

不義を悔い改めるというときに、個人的な話として考えてしまうが、敵がいることを
忘れてはならない。
病気は一つの大きな敵である。
私たちは敵から守られることができるかということをいつも、確かめておかなければ
ならない。

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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