Subject:
詩篇131篇「金曜日の聖書研究」
From:
+shinya@kanno.com
Date:
2006/04/21 9:58
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

+ちゃんくんです。

131篇「金曜日の聖書研究」06/04/21 

■個人ではなく、王様

131篇は130篇に続いて、主を待てということが歌われている。
131篇を読むときに、個人的なこととして、読んでいまいがちである。
この詩篇の題のところにはダビデによると書かれているが、ほんとにそうかはわから
ない。
イスラエルの王さまが歌っているということを覚えて、読まなければならない。
このことはどの詩篇においても、忘れてはならない。

■構造

今回は3節を別にして考えて、3節で言われていることが、1節から2節で詳しく説
明されていると考えることができる。

もう一つは、メサイヤが私は高ぶりませんということを言って、イスラエルに私のよ
うに主を待てと宣言していると考えることもできる。

私たちは平和ぼけしていて、131篇を王様の観点から読むことをしない。
自分に問題があるときには、敵がいる。
この時代の王様は、まわりに敵がいつもいる。
自分に問題があるときには、それは自分だけのことではない。
王様が誇るというときには武力をつかったりする。

1節はロー(しない)という言い方が強調されている。
2節はイムローという言い方で始まっているが、これは、必ずやりますという意味が
ある。
前半は争わないということで、後半は静かにしているということである。
争わないことと、静かにしることは平行している。

前半と後半のつながりは第一テモテ6章から見ることができる。

■結論

130篇は不義が赦されることを待ち望んでいる。
131篇は敬虔、信仰、柔和、忍耐、正しさ、愛ということを持って、主を待たなけ
ればならない。

130篇からはなにを待ち望んでいるのかということを教えられる。
131篇からはどのように待つのかということが教えられる。

■カルヴァン

カルヴァンは本の中で、131篇を要約しているが、131篇を思い出さない。
このことから、王様として考える考え方が始まった。

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 mailto:shinya@kanno.com
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