Subject: 詩篇132篇「火曜日の聖書研究」 |
From: +shinya@kanno.com |
Date: 2006/04/25 10:29 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
+ちゃんくんです。 132篇「火曜日の聖書研究」06/04/25 1ー10節と11ー18節の前半と後半にわけるのははっきりとしている。 はっきりしているから、同じ構造の人がいそうだが、あまりいっしょの人がいない。 一つこまるのが13節の頭にキーがあるということである。 13節は住まいということで、14節からとつながっている。 この住まいの話は、6節からの住まいの話と平行している。 2節と5節の全能者と訳されていることばは、実は勇者という意味である。 しかし、127篇の勇者とは違うことばである。 ボアズという名前には勇者という意味がある。 14節はこれはという代名詞で始まっているので、ここから新しい段落が始まると考 えるのはむりだろう。 1ー5節の誓いのことばが6節で見つかったということを言っている。 前半はうまくいっているが、後半があまりうまくいかない。 ダビデと油注がれた者(メサイヤ)というのが並行しているはわかる。 14節はなぜなら、私が望んだからということになっている。(キーがある) 13節と14節の望みは同じことばである。 日本語の訳にはかぎかっこがあるが、ヘブル語にはとくにない。 ヘブル語ではそのような書き方はとくにしない。 127篇では神様は眠りを与えてくださるということを言っていたが、132篇では 寝ませんということを言っている。 新改訳では2節に二回も誓いということばがあるが、一回目と二回目の誓いのことば は違う。 一回目の誓いのことばと、11節の誓いということばが同じである。 10節と17節のダビデのためのためにというのが並行している。 第二歴代誌のソロモンの祈りの中には御力の箱も立ち上がって、休み所にお入りくだ さいとう言い方がある。 また、祭司たちは救いを身にまとうという言い方もある。 (第二歴代誌6章41節) この言い方は第一列王記のほうにはない。 御力の箱よ。立ち上がってくださいという言い方は民数記10章35節から36節も 思い出す。 一つの場所と一つの角と、一つのともしびという言い方は一つの目立つ色塗りである 。 11節の取り消すと10節のうしろへ向けないというのは戻すということばである。 エフラテはベツレヘムであることがミカ書と創世記35章からわかる。 ------------------------------------- +審也@カンノファミリー mailto:shinya@kanno.com -------------------------------------