Subject:
詩篇135篇 115篇との比較
From:
"Mikuni Kanno" <mikuni@kanno.com>
Date:
2006/05/23 10:40
To:
<saiwainet@yahoogroups.jp>

+みくにです。

詩篇135篇と詩篇115篇を比較しました。

■イスラエル、アロン、主を恐れる者:

イスラエルよ。アロンの家よ。主を恐れる者たちよ。といういい方は、詩篇11
5篇には2回(9-11節、12-13節)、詩篇135篇には1回出てくる。
この3つの分け方にはどのような意味があるのか興味深い。

■主を祝福する、主が祝福してくださる:

詩篇115篇には、主をほめたたえる(主を祝福する)といういい方がほとんど
ない。しかし、反対に、主が祝福してくださるということが12-15節に書か
れている。

詩篇135篇では、主に祝福されたイスラエル、アロン、主を恐れる者たちが、
主を祝福する(ほめたたえる)ように命令されている。つまり、詩篇115篇は
神様から→民だったのに、詩篇135篇では、民→神様になっている。

■偶像は何も出来ない:

詩篇115:2-8、詩篇135:15-18には偶像の話が出てくる。偶像は
何も出来ないという事に対して、神様がその望むところをことごとく行われると
いう対比になっている。

■望むことを天と地で行われる:

詩篇135:6で、主は望むところを天で、地で、海で、またすべての淵で行わ
れると言っている。同じように、詩篇115:15では、神様が天地の創造主
(すべてを行うことが出来る)であると言っている。

■主をほめたたえることがない?!:

主をほめたたえなさいと言っているのに、対して、詩篇115:17を見ると、
死人は主をほめたたえることがないと言っている。ここで、言っているのは、死
人は主をほめたたえることが出来ないので、神様に生かして下さいとお願いして
いるのだと思う。

■違うところ:

詩篇115篇と詩篇135篇で違うところは、まず、詩篇115には歴史が書か
れていないということである。詩篇135編の半分ぐらいの節で、エジプトのス
トーリーや、カナンのストーリーなどを話している。

次に、詩篇115篇には、主に信頼せよ。といういい方が3回も繰り返し出てきて
いる。

あと、詩篇135篇では、特別に主の御名の麗しさや、偉大さについて話してい
る(135:3,5,13節)。